上田城

上田城は、真田幸村の父である真田昌幸が築城した城です。
昌幸よりも息子の幸村のほうがあまりにも有名すぎて、真田幸村の城だなんていわれておりま
すが、それは大きな間違いであって、実際幸村が上田城に居たのは、約17年足らずです。
上田城が出来るまでは、砥石城や、上州の岩櫃城、沼田城を中心に活動をしていました。
上田城は別名「尼ヶ淵城」とも呼ばれています。尼ヶ淵の由来は、城の真下にある、切り立った
崖の名前です。現在上田駅などがある場所は、昔千曲川が流れており上田城は千曲川の河
岸段丘の上に築城されたのでした。

真田氏統治時代の上田城の歴史
天正11年(1583)真田昌幸、上田城の築城開始。
天正13年(1585)第一次上田合戦で徳川軍に勝利
慶長5年(1600)第二次上田合戦で徳川秀忠の軍勢を足止め。

簡単すぎですが、ほんとにこれだけでした。
特に第二次上田合戦では徳川秀忠率いる25,000の軍勢、わずか2,500で足止めしましたが、
関ヶ原で西軍が負けてしまったので、結果的には領地を没収され、九度山(紀伊)に流されてし
まいます。その後は、幸村の兄である信之がそのまま統治し続けましたが、1622年に松代に
移封されてしまったので、そこで、上田城の真田氏統治は幕を下ろしました。


写真館
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城内マップ
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